残り続ける文化

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ペンフレンドというのが、昔流行ったことがあります。
うろ覚えですが、見ず知らずの人に雑誌などで「私と手紙交換しませんか?」と募集をかけたりして、手紙をやりとりする。
所謂、文通です。
現在、年賀ハガキもLINEで済ませる人が多いとおもいます。私も、元手がかからないこともあり、ほとんど「あけおめメール」もしくは、「あけおめLINE」になっています。
ですが、年中全く手紙を書かないかと問われればそうでもありません。
ペンフレンドとは、違いますが、昔近所に住んでいたよく遊んでもらっていたお姉さんと十年以上、中学の頃まで文通をしていました。十年ですから、メールと違って筆跡も変わります。
ひらがなで大きめにかかれていた斜めった文字も気取って漢字を使いだし、大きさも小さく揃えられていく。まるで自分史が他人宅に送られているようです。
なぜ、そんなことを言えるのかといえば、相手方の手紙を保管しており、ある日読見返したら、そんな感じで筆跡が変わっていたんです。
近所のお姉さんは、確かに私より歳上でしたが、引っ越し当時は小学生。(私は保育園児)
最期の手紙は、高校生です。変わらない方がおかしい。
まあ、そんなこんなで。私には、遠くの友達=文通という認識がありまして。
今でも年に1、2回ほど、学生時代の友人に手紙を出します。
連絡手段は、今や通信機器に偏っていますが、きっとこれからも手紙がなくなるということはないと思います。考えれば、千年以上も前から、戦国時代や維新、世界大戦さえ乗り越えてきた連絡の手段です。
筆跡やレターセットの柄、文香など。画面上では、なかなか難しい、五感に訴えるこの原始的ながらも等身大の相手を感じられるこの手法は、これからも文化として、残り続けるのではないでしょうか。

娘から貰った手紙に泣きました。

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娘が小学校二年生の時、私が入院することになった時に娘から貰った手紙に、なみだが溢れてとまりませんでした。
まだ8歳で小さいながらも、母親が入院することがどんなことなのかを理解していたのでしょうか。
娘は「笑顔いっぱい、元気いっぱい」と書いた紙に、家で飼っているダックスの似顔絵と笑顔いっぱいの自分の似顔絵を描いて渡してくれました。
入院中それを見た看護師さんが「素敵な娘さんですね。」と言ってくれて、その場でも涙が溢れました。

お見舞いにきてくれた娘はずっと笑顔でいてくれましたが、あとから主人が「ママ、死なない?」と娘が泣きながら聞いてきたと教えてくれました。
無事退院してからすぐが、ちょうど母の日だったのですが、その時にも手紙を貰いました。
「これからもずっとずっと私のそばにいてね。いつもいつも笑顔のママが大好きだよ。
元気で今日の母の日を迎えられて嬉しいです。ママがいなくて寂しかったけど頑張ったよ。
パパも寂しがっていたよ。大大大好きなママへ」って。これにも涙がとまりませんでした。横から手紙を盗み見していた主人も号泣し、二人で大号泣してしまいました。大事な大事な娘からの贈り物です。

友達との絆を深めた何通もの手紙。

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まだ携帯電話が存在していなかったあの当時。私も友達も結婚してお互い小さい子供がいたので、ゆっくりと長電話をする余裕もなく、かと言って話したいこと、聞いてもらいたいこと、聞きたいことは溜まる一方。
そんな時はやっぱり手紙でした。子供がお昼寝した時や、夜に寝かしつけたあとに、何日もかけてあれやこれやと書き溜めていました。
書いている時は、とっても楽しい時間でした。友達の顔が自然と思い浮かんできて、この内容を読んだらどんな反応をするのかなぁ、めっちゃウケるかなぁなんて思いながら書いていると顔がにやけてきて、そんな自分に笑ってしまったり(笑)。

でも時には、お互いの悩み事に真剣に一生懸命考え、何十枚もの便箋になってしまったり。よくお互い「ポストに手を入れた瞬間、すぐあなたからの手紙だと分かる(笑)。」と言っていました。
だってその封筒だけ、厚切りトーストのように分厚いのですから(笑)。
今ではお互いスマホでの連絡になってしまったけど、あの頃の手紙の束は大事にとってあります。大切な思い出の詰まった宝物です。